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Uターンラッシュのホームで車窓に隔てられたしわくちゃな手と小さな手。

小仏トンネル渋滞のニュースは風物詩。

正月の帰省から戻ってきた。

街がまた、いつもどおりに動き始めている。僕も明日から仕事が始まる。

束の間の再会と名残惜しい別れは、差し引きするとちょっとだけ心をくたびれさせている気がしなくもない。歳を取ると故郷に置いてきたものを余計に懐かしく、愛おしく感じさせる。

 

この休暇中は深夜から早朝にかけての中途半端な時間に目覚める事が多く、そんな時は決まってASKAのブログを読んでいた。いくつかコメントも書いた。年末年始は更新が相次いだ。

 

人の数だけ言い分はあるけれど。

 

寄せられたコメントは信者の賛美が圧倒的多数を占め、あとは寄る辺を無くしたファン或いは元ファンの困惑や更生への切なる願いが散見された。それからお定まりの誹謗中傷の類。

後者は個人的に好みじゃないし、あるべき姿でも無いと思うけど、現代の人間はサイバースペースをこうやって消費する。言うまでもなく現代人がネットで織りなす表現の集大成だ。僕らが知的な生命としてもっと進化した後年、芸術の流派や建築様式みたいに語られるのかも知れない。結局僕のコメントもまたそれを構成する要素であり、埋没する小石の一つに過ぎない。

 

すれ違うのは言葉だけであってほしい。

 

本人のブログで主人公たる本人が何を語ろうと自由である。でもね。「背中で語る」とか「無言のうちに語る」ではブログにならないけど、「語るに落ちる」という言葉もある。

 

「DADA」「ダダ」

 

真っ先にウルトラマンに出てくる怪人を思い出した。

wikiで調べるとやはりその怪人もルーツは一緒の様だ。

そしてそのウルトラマンで思い出した、昔拾った名も無い一つの小石。饒舌な主人公にそっと渡したい。以下はその引用。

 

「最近の主人公は喋りすぎ。ウルトラマンとか見習え。」

 

僕もまた、喋りすぎた。